季節を感じることのすばらしさと大切さ 「感性を磨きなさい」
みなさんはこの夏、「夏らしいこと」を楽しんでいますでしょうか?
私は恥ずかしながら、先日この夏初めて、
「夏らしいこと」を体験してきました。
基本的に仕事でもプライベートでも屋内に引きこもっている私ですが、
夏の猛暑の中外に出て、改めて日本人として四季を感じることの
すばらしさを体感しました。
※この記事はかなり個人的な感想となっています。
ただただ私の思っていることを書いているだけですが、おつきあいください・・・
激暑 夏の夜の花火大会
夏の風物詩の一つと言えば、花火大会であります。
この花火大会、ある程度の規模を誇るものであれば、どこでも人が溢れ返っています。
正直、人が多すぎて花火が始まるまでは、早く帰りたいとしか考えていませんでした。
あれだけ人が集まると、自分も含めて色々な人々のイライラが募り、尋常ならざる空気感を醸し出します。
しかし、花火が始まるとそこにいる人達の不満は消えて、みんなが一体となって花火を見つめていました。
この「一体感」は、涼しく人のいないところから見ていては体感できません。
四季を感じる生き方
「夏には暑さを体感して、夏らしいイベントに参加する」
こんな当たり前のことを実行し、改めて日本の四季のすばらしさを実感しました。
その時期にあった生き方をしていくことが日本人として、自分にとって必要です。
街中に住んでいるとあまり四季を感じる場面は多くありません。
春には桜を見に行き、夏には海で泳ぐ、秋には紅葉を鑑賞し、冬には雪を見る。
インドア派の一人暮らしサラリーマンの私にとって、これらのことは自分から意識して行わなければ、体感できないものばかりです。
季節が変わるのと同時にその季節のものを思い浮かべ、一つでも多く触れる機会を増やしていきたいと思います。
感性を磨いたその先に見えるものを見てみたい
さて、今回こんな記事を書いたのはある恩師の言葉を思い出したからです。
「感性を磨きなさい」
この言葉が私の人生の一つの道しるべになっています。
夏のことを暑いと思うだけでなく、快晴が続くすばらしさを実感できる人間になる。
道ばたに咲いている花に気を向けることができる人間。
忙しい現代において、余裕を持たなければ感性を磨くことは出来ません。
上記の言葉は学生時代の恩師からもらった言葉ですが、社会にでてから、この言葉の含蓄にすこし気付けてきたように思います。
社会人として、デキる人の条件は「論理的であること」
しかし 、デキる人の次の段階を目指す際に、
必要となるのは多分「感性」なんだと周りの先輩達をみていて思います。
あくまで個人的な、そして抽象的なものの見方にはなりますが。
自分にはまず「論理性」が足りていないですが、併行して「感性」も磨いていきたいと改めて思った花火大会の夜でした。