【英語学習】英語も無意味な努力に逃げてはいけない
日本人は努力が大好きです。
なにか成功者のエピソードが紹介される時に、
必ずその裏には努力が存在したことが条件となっていしまいます。
しかし、その裏で実らなかった努力も絶対に存在するはずです。
「頑張ればどうにかなる」
たしかに大概のことは頑張ればどうにかなります。
しかし、かなり遠回りな方法であったり、違うルートを進んでいる努力もあります。
英語は「誰でも」できるような学問ではないと思います。
向き不向きがあるのは確かで、それがほかの学問より濃度が薄いだけです。
苦手な人はどれだけやっても英語ができるようになりません。
ただそれはその人達が「努力している」と思い込んでいるだけなのが問題なのですが。
- 英単語をひたすら覚えて、それを活用する場面がない。
- 文法問題の選択肢を覚えて、意味はほとんど理解できていない。
- 長文は問題を解いただけで終わってしまう。
こういった作業を本人達は本気で勉強だと思い込んでいる。
中高生ならまだしも、大人になってからもこんなことを続けている人達は何も考えていないだけです。
典型的なのは勉強したかどうかを時間だけで考える癖がついている人達です
本来は「何ができるようになったか」が一番重要なはずですが、時間で成果を測る癖がついている人達は上記のような作業を勉強だと思いがちですね。
そしてこの循環を加速させている大きな要因の一つは
「英語学習する人をターゲットとして、お金儲けをしようとしている人がいる」
ということです。
このこと自体は決して悪いことではありません。
英語ができればいかにすばらしい人生が送れるかをお客さんに上手な方法で披露し、そのために何をすればよいかを具体的に示すことができることはすてきなことです。
しかし、その過程で「努力」の面が大きくクローズアップされ、何も考えていない人達が「努力」に逃げるという無限ループが続いているのです。
そもそも世間で言われているほど、英語ってみんなができたほうが良いものなんだろうかという疑問は私の中でずっとくすぶり続けています。
ある特定の人達だけが、本当に英語が好きな人たちだけが英語を学び、他の人達に伝達する。
他の人達は自分の好きな分野や得意な分野を究める。
そんな世界の方がいまよりもよっぽど良い気がします。
英語ができた方がもちろん良いですが、そのことがあまりにも重要視されているような世の中になってしまっていると思います。
最後の方は話がそれてしまいましたが、英語も作業をこなすだけの無駄な努力には逃げてはいけません。
「努力」=思考の停止なのかもしれませんね。